前略、いっておいでよ

ハイヒールを履く

by カナエナカ(shojiro.nkym)

女の権利を捨てたくなかった

女に生まれたからには、女の楽しみを味わいたい。
そう思い、色気づき始めた大学入学当初。そんな私の女心なんて知った事か、と言わんばかりの主治医からのひとこと。

「膝によくないから、ヒールのある靴ははかない方がいい」

バカ言うな、私はこれから楽しもうと思っていたのに。女に生まれたのにハイヒールの履けない人生なんて不幸すぎる。

それまであまり「女らしいかどうか」にこだわりはなかったはずなのに、「ダメだよ」と言われると急に惜しくなる天邪鬼。

わたしは17歳の時、とあるきっかけで膝を悪くした。

しかしながら、せっかくの女としての権利を自らの意に沿わない身体的な理由で放棄するのはわたしのポリシーとして許せない。
「自己責任」の元わたしはハイヒールを履くという選択肢を迷うことなく選んだ。

背伸びするということ

一番高いヒールで10センチくらいは履いていたと思う。

ただでさえ大きな背をさらに伸ばし、町の中を闊歩することがすがすがしくて大好きだった。
ファッションの幅も広がってオシャレが楽しいと思えたし、気のせいだけど、つま先で立つ私はちょっといい女になれた気がして貧弱だった自尊心もヒールの高さ分くらいには少しだけカサを増す。

しかし、その楽しい時もあっけなく終わりを迎える。

私は私が満足いくまでハイヒールを履いて、そして忠告されていた通り、膝を壊した。

ハイヒール、さよなら

「ハイヒールを履いていたからだ」

膝が壊れて入院をしなくてはいけないとなった時、いずれはこうなるのではないかとうっすら脳裏にあったものの、来てほしくはなかった未来が現実のものとなり、背筋が凍ると同時にひどく後悔をした。
少しの間、「やめておけ」と言われたハイヒールを履いていた自分を恨んではみたが、どんなに恨んで呪っても、私の脚は治りはしない。

相変わらずの諦めモード発動で「まあ、過ぎたことはしょうがないさ」とあっさり前を向く。
故障した膝を元に戻す術は主治医頼み。とっとと入院することに。

膝は外科的な手術であっさりと直してもらえ、また元の生活に戻れたのだが、復帰してからの生活ではあっさりハイヒールを手放すことになる。

やり尽くしたから、もういいや

自分の身体の欠点を恨むでもなく、まあもういいか、という境地。

「気が済むまで楽しんだから」次も同じことが起こるのであれば、私が選ぶのは膝を壊さないという未来。


自分の意思で選んだ未来は後悔が少ない。
今回の決断には「ハイヒールを止められたけど自分の意思で履いていた」という自分を納得させられる確固たる意思が鎮座している。
履いた世界がどいうものか、止められていたことに反して推し進めるとどういう経験をするのか、試してみて初めて直面したり、分かる事がある。
たとえそれが失敗で、後悔に至っても、試してみなければその後悔の味は知らないまま。
本当はハイヒールを履いた人生は素晴らしく美味しい世界だったのではないかと、まだ味わった事ないものへ思いを募らせ、最悪の場合、「味わえなかった私は不幸だ」と心残りを味わうことになってしまう。
美味しいかどうかわからないものへ延々と後ろ髪を引かれるなんて、それこそ不幸だ。

そう思えたので、主治医に止められていたにもかかわらずハイヒールを履いたことに後悔はなかった。

「だって、自分が選んだのだから」

より納得のいく未来を選ぶには、試して、身をもって経験し、反省するという過程が圧倒的に必要だと思っている。ビジネスで言えばPDCAとやらですかね。
多少痛い目にあったとしても、「もうああいう目にはあいたくない」と思うと、自らの意思で次の未来を選ぶことになるので、とても納得感がある。

わたしは自らの体を痛める結果になったが、おかげであっさりとハイヒールを履くことをあきらめられた。
あんだけ「女としての楽しみが味わえない人生は不幸だ」と思っていたにもかかわらず。



自分自身の人生に納得感のある決断をしたい、と思う。
それは誰かのせいにすることなく、清々しく生きていく自分を支える背骨のようなもの。


迷った時、悩んだ時に「これでいいのだ」と自分自身に説明がつく決断をしていきたい。

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