前略、いっておいでよ

テレビとラジオ

by カナエナカ(shojiro.nkym)

テレビがない、ここ3年テレビが生活から消えた。
その一方で、ラジオは私の生活にしっかり残っている。
いつもの旅ログから少し離れて、ちょっとだけ生活の考察記録。

引っ越した、テレビがなくなった

私の7畳の部屋にはテレビがない。
今はやりの「テレビ離れ」
別に「テレビのない個性的な私」を目指しているわけではない。
前住んでいた家にはテレビが備え付けであって、引っ越すに際しテレビは自分の資産ではなかったので、持ってこれなかっただけ。
むしろ私はテレビが嫌いというわけではなくて、テレビ大好きテレビっ子。
実家に帰ったらテレビを見まくり、どんな番組でもCMでも、隅から隅まで舐めるように、あればひたすら見てしまう。
つまり、テレビがあるということは私はそこにかぶりつきで動けなくなるということでもある。

さて、引っ越して早速、音のない部屋は寂しすぎて落ち着かず、代わりにもう一つ大好きだった「ラジオ」を朝から晩まで聴く生活に切り替えた。

ラジオを聴く生活

昔からラジオが好きだった。

ラジオ歴で言えば、小学4年生くらいの頃からだと思う。特に音楽が好きな私は無料なのにひたすら音楽を流し続けてくれるラジオの虜で、布団に潜って寝たフリをしながらイヤホンを繋いでこっそり深夜の放送を聞くのがちょっとした楽しみでもあった。あの頃は飯島愛さんとかが番組やってたなぁ。あの時はまだ何も知らない子供だったから、ちょっとエロな話にドキドキしてしまったのが懐かしい。

学生時代は西日本エリアで過ごしたので、FM802のヘビーリスナーだったが、東京へ引っ越してきてからは放送エリア圏外となり聴けず、しばらく悲しい思いをしていた。

そんなある日、東日本大震災が起きてしまう。
電車が止まって会社から帰れなくなり、不安な一夜を過ごした翌日、なんとか家に帰り、テレビをつけるとやっている番組は悲しくなる映像の報道と公共広告機構の「ぽぽぽぽーん」のCMばかり。華やかで可愛らしい女子アナが黒い喪服のような格好で、いつもは見せないような険しい顔をしているのを見るのも嫌だった。
大好きなテレビだったのに、見ているだけで気が狂いそうだった。

テレビを見るのが嫌になってしまったので、何の気なしにその当時サービスとして普及し始めたインターネットでラジオのストリーミングが聴ける「radiko」でラジオをつけてみると、東京では聴けないはずのFM802が聴ける?!というかなり衝撃な出来事が。嬉しすぎて急に楽しい気持ちになった。
聴けなくて残念無念と思っていたFM802が聴けただけでも嬉しかったのに、聴き慣れたラジオDJの声、いつも通りのナイスな選曲。あー、これこれ!!ってな具合で心が踊る。
そして、「東日本が大変なことになって、みんな気分も落ち込んでしまっているだろうけど、明るくて楽しい音楽をいっぱいかけるから、元気になってな、頑張ろうな」と励ましのメッセージと共に素敵な選曲が続く。
「エリア制限解除しています」という大々的なアナウンスも特になく、東日本エリアで聴いている人がいるのかもわからないラジオの電波で、届くことを前提として暖かい気持ちを伝え続けている人が西の方にいる、と思うとぐっとくるものがあり、一人でこっそり泣いた。
と言うのは私がラジオの思い出の中で一番心に残るエピソード。ラジオについて書いていて久々に思い出した。

この時からラジオが生活に多く登場するようになる。

テレビとラジオ

テレビもラジオも同じく情報を伝え、エンターテイメントを届けてくれる。
同じような役割ではあるが、決定的な違いが二つあると思っている。

一つは、「テレビはテレビの見える場所に身体及び視覚が固定されてしまう」ということ。

テレビを見なくなった私は、ラジオを聴きながら多くのことをするようになった。
身体が一つの場所にとどまる必要がないので、ベランダで布団を干しながら日向ぼっこをしたり、掃除をしたり、ブログを書いたり、ラジオの視聴に並行して幾つかのことを進められるようになった。逆にラジオの前で正座して固唾を呑んで聴くというほどラジオに酔狂しているわけではないので、ラジオの前にいると逆に手持ち無沙汰でそわそわするからダメだ。
身体がひとところから解放されたことによって私は新しい生活スタイルを定着させ、ラジオを聴きながら散歩に出かけたりもするようになり、今まで出会わなかった物事に出会うようになる。

そして、もう一つの違いである「情報を得る主体が視覚と聴覚という違いがある」ということ。
これには予想外にメリットがあったと感じている。

多くを想像するようになったのだ。

言葉から得られる情報をもとに、どんな感じなんだろう?と想像力を働かせるようになった。
「百聞は一見にしかず」というが、逆に言えば、一見してしまうとそれが確定情報となりそれ以上を想像する余地を与えないことでもある。
もともとあまり活字を読まない。マンガが大好きで、テレビが大好きだった。
目で得られる情報が多いものが好きだったので、あまりあれこれ想像したりしていなかったんだな、と気づく。
想像力を養うと何がいいんだ、と言われたらそれまでだけど。見えないものに思いを馳せ、より気になるものに対しては自ら情報を得に行くようにもなったと思う。

テレビがない生活で得たもの…

私は「あちこち行っているけど、どうやって見つけるの?どうして行こうと思うの?どうしてそんなにアクティブなの?すごいね。」とよく言われるので、どうしてなのかを考えた時「テレビが部屋にないからじゃないか?」と思ったのでこのエントリーを書くことにした。

テレビがないと、今までテレビを見ていた時間以外にしていたことを、テレビを見ていたであろう時間で済ませてしまう。時間が余る。要は暇なのだ。
そして、テレビというスイッチ一つでお手軽かつタダで楽しめるエンターテイメントがないと、日々の暇つぶしや面白いものは自分で用意しなくてはならない。
テレビのない生活は結果として、「能動的に自分の好きを考えるようになり、自分の興味のあるものを探し、日々の生活に取り入れること」を促したと思っている。

なんだかごちゃごちゃ書いたけれど、自分自身の好きなことや気持ちの良い状態が何かという事を深く考え、知り、突き詰めていくのには「受け身になりがちなテレビと距離を置くこと」が良いんじゃないかな?と思ったという話。

一旦生活からテレビを切り離すといいよ、何なら商業と制作者の意図にまみれている雑誌や新聞もやめて、一旦世俗から一線を画してみて、それでも気になる情報にだけアクセスしていけば、自分の心の動きがくっきりと良く見えるようになるよ、という話。

最後に一言。

「ラジオはいいぞ、FM802はいいぞ。」

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